B面のつぶやき

美術館、図書館、喫茶店に出没しがちデイズ

1月の美術展|藤原定家の書、野島康三と斎藤与里、モダンアートの街・新宿

今年もちょこちょこと美術館巡り続けます。よろしく。豪華な掛軸は《藤原定家筆歌切(古今和歌集序抜粋)》です。いいだろ、という持ち主の声が聞こえてきそうな表装。

国宝 熊野御幸記と藤原定家の書―茶道具・かるた・歌仙絵とともに―

三井記念美術館

《熊野御幸記(くまのごこうき)》は1201年のハードモード旅日記。貴族の旅行なんて、輿に乗ってるだけでしょ、と思ったら大間違い。そもそも輿は乗り心地が悪い(はず)。

10月5日後鳥羽院のお供で京都を出発
10月8日布施が少ないと僧侶に文句を言われる
10月9日御経供養に遅刻
10月10日宿所を横取りされる
10月12日寒くて咳の発作
10月14日険しい山道に目がくらむ
10月19日空腹で力が出ない
10月20日風雨で輿の中が海のよう

苛酷な旅程を経て26日に帰着。定家が生涯書き綴った日記《明月記》(こちらも国宝)の別冊的な位置付けで、当時の熊野信仰や風習の様子が分かる第一級の資料とされている。

筆が走っている感じとか、紙が足りなくなって裏側にも書かれているとか、直筆ならではの生々しさ。そんな大変な思いしなくても、と言いたくなるが、苦労するほど功徳が積めるという価値観らしい。一生に一度の大イベントだったのかも。

独特のクセ字は「定家様」と呼ばれ、後に茶の湯界隈で大人気となった。江戸時代の小堀遠州などが残した定家様の書を茶道具と共に味わう。ちなみに、現代の「かづらきフォント」にも定家様が受け継がれているそう。根強い!

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藤原実資の小右記を書写した《大嘗会巻(だいじょうえかん)》や古筆切(古い巻物などを観賞用に分断したもの)など、定家の書をたっぷり。

後半は土佐光起筆《女房団十六歌仙帖》などの歌仙絵やかるたの展示。お正月気分。

野島康三と斎藤与里 ―美を掴む手、美を興す眼

埼玉県立近代美術館

埼玉県出身で大正から昭和にかけて活動し、交流もあったふたり。作家としてだけでなく、当時の美術界を支えた存在として紹介されている。

近代美術を追いかけていると兜屋画廊の名前を目にすることがある(現在でも銀座で営業中)。野島康三は戦前を代表する写真家であり兜屋画廊経営者であり美術家の支援者でもあったらしい。自宅で小林徳三郎の個展も開催している。すごい。

1930年代に撮影された女性ポートレートのシリーズは、現代の感覚でも「格好ええ…」と感じる。

野島康三《女》1932年/京都国立近代美術館

斎藤与里は岸田劉生らとともに「フュウザン会」立ち上げたメンバーのひとり。活動期間が長かったせいもあり、初期と晩年の画風が全然違う。パリ留学時に「セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、すげー!」となり、後期印象派を日本に紹介。もちろん自身の作品にも影響は表れていて、自己の内面を重視した表現は当時の日本人を驚かせたそう。

斎藤与里《秋海棠》1950年/埼玉県立近代美術館

戦後の作品は、明るくて伸びやかな童画のような雰囲気になる。「私の描くものは私の主張であり、賛美である」という言葉のように、動植物や人間が調和した世界が表現されている。

開館50周年記念 モダンアートの街・新宿

SOMPO美術館

明治から昭和にかけて、新宿を舞台に活躍した約40人の芸術家たちの作品を紹介。

新宿と近代絵画と言えば中村屋。先ずは中村屋の中心的存在だった中村彝(つね)。斎藤与里より2歳年下だけど早世してしまう。亡くなる前年の《カルピスの包み紙のある静物》、《頭蓋骨を持てる自画像》は、不吉なイメージを漂わせながらも穏やかな雰囲気も感じられる。

新宿に隣接する池袋に形成されたアトリエ村、池袋モンパルナスの画家たちも取り上げられている。松本俊介の代表作《立てる像》は縦162センチのほぼ等身大の自画像。目の前に立つととても大きい。構図もタイトルも似ているけど全然違う、佐伯祐三《立てる自画像》は表情がが切り取られた不穏な作品でちょっと怖い。

松本俊介《象》1943‐46頃/神奈川県立近代美術館

阿部展也のドローイングと瀧口修造の詩による詩画集《妖精の距離》は日本における初期のシュルレアリスム表現として重要な作品とのこと。あまり見ている人がいなかったのでじっくり鑑賞することができた。