B面のつぶやき

美術館、図書館、喫茶店に出没しがちデイズ

没後190年 木米|サントリー美術館

せっかくの金曜午後半休なのにピンポイントで雪予報って…。予定を変更して地下鉄直結のサントリー美術館に行ってきました。

日本における文人画は江戸時代中期に隆盛を極めました。文人、というのはもともと中国からやってきた概念ですが、当時の日本では中国的な素養を身に着けた人という意味で使われました。

木米(もくべい、1767~1833)は、子どもの頃に文人画界の大スター・池大雅(いけの たいが、1723~1776)から絵の手ほどきを、十代で印章の神様・高芙蓉(こう ふよう、1722~1784)から篆刻の指導を受けたそうです。実家が祇園の茶屋という環境も、まさに文人サラブレットと呼ぶにふさわしい。

文人というと高等遊民的な、お金持ちの趣味人みたいなイメージがあるかもしれません。確かに”いいとこのおぼっちゃん”であるパターンが多いです。が、作品を見ると、熱い情熱を持って制作に取り組んでいたことは明らかです。

木米もやるならとことん、という人だったようです。書物を読むために持ち主の元を何度も訪れたり、窯で頑張りすぎて耳が悪くなったりというエピソードも紹介されています。漢籍を読みこなす読書人でもありました。

その作品は自由奔放と言われますが、その自由さを読み取るには私の素養が無さすぎる。ただ、あくまでベースは憧れであった中国的な美の追求であり、その過程で”遊び”の部分が生まれているように思いました(たぶん)。

小さな煎茶碗に赤絵で文字をびっしり書き込んだ『色絵詩文煎茶碗東京国立博物館収蔵)』など、文字の配置やデザイン性に独自の作風を感じました(たぶん)。かっこいい。また、山水画の中に小さく書き込まれた人物に、彼自身や親しい人が重ね合わされているようで、ほっこりします。

木米の周りの文人ネットワークについても触れられています。雨月物語の作者、上田秋成お手製の急須があったりして、ちょっと興奮しました。