B面のつぶやき

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テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ|国立新美術館

ターナーとブレイク見たさに行ってきました。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775年~1851年)は「変わった人」、ウィリアム・ブレイク(1757~1827年)は「超変わった人」という認識でおります。褒めてます。

第1章の「精神的で崇高な光」に、はやばやとふたりの作品が登場。ターナー円熟期の、黄色く輝く画面。画面全体が溶け合い、物の輪郭はあいまいです。ほとんど抽象画のよう。大気と光を科学的に分析し、ゲーテ(1749~1832年)の色彩論を用いたとされています。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー『陽光の中に立つ天使』1846年

ただ、こういった表現は斬新過ぎて物議を醸しました。若くしてアカデミー会員になったターナーは、周囲の嫉妬や気難しい性格のせいで非難の対象になりやすかったのかもしれません。今でこそ印象派を30年先取りしていたと言われていますが、当時の人たちはまったく付いて行けていない状態。印象派ですら受け入れられるまでに相当な年月を要しているのだから、そりゃそうなる。

そんなか、彼を擁護したのは交流のあった美術評論家のジョン・ラスキン(1819年~1900年)です。この人も先見の明のある天才的な人。その言葉があまりにも的確なので引用(孫引き…)しておきます。

ターナーがあなたを眩惑させるという理由で、なぜあなたはターナーを責めるのか

ジョン・ラスキン著、内藤史朗訳『芸術の真実と教育ー近代画家論・原理編Ⅰー』

おしゃる通り。

ウィリアム・ブレイクロマン主義の代表的人物ですが、生前はほとんど世に知られることはありませんでした。詩人でもあり、死後は多くのアーティストにインスピレーションを与え続けています。影響力の強さはWikipediaで。

ja.wikipedia.org

今回展示されていたのは版画2点。ロマン主義といいつつ古典的な雰囲気も感じます。なにより幻想的で際立つ個性。いろいろなモノが「見えちゃう」体質のようで、狂人扱いされていた節があります。テートが所蔵するのブレイク作品の中で今回『アダムを裁く神』(←ポスターに使用されている作品です)と『善の天使と悪の天使』が選ばれたのは、比較的分かりやすいモチーフだからかも。

さて、早々に目的の作品を見てしまったのですが、もちろん展覧会はまだまだ続きます。時代や地域だけでなく、ジャンルも様々な作品が紹介されています。

第3章「室内の光」から、ハマスホイの静かに広がる光。

ヴィルヘルム・ハマスホイ『室内』1899年

第6章「光の再構成」では現代の都市を抽象化したような光。

ディヴィッド・バチェラー『ブリック・レーンのスペクトル2』(一部)2007年

第7章「広大な光」では体感する光。一瞬の美しさと儚さを感じます。

オラファー・エリアソン『星くずの素粒子』2014年

上海、ソウル、メルボルンオークランドを巡り、日本の東京、大阪(中之島美術館)で巡回終了となります。展示作品の一部は各地の観客層に合わせて入れ替えられ、日本会場限定でマーク・ロスコ、ジュリアン・オピー、ゲルハルト・リヒターなどの12点が選ばれているそうです。

ジュリアン・オピーは人物画や『日本八景』シリーズが日本でも良く知られていますが、あまりピンと来ていませんでした。今回の作品はそれらよりずっと好み。反射してどうしても上手く写真が撮れず、台無しになりそうなので載せないでおきます。