B面のつぶやき

美術館、図書館、喫茶店に出没しがちデイズ

ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会|森美術館

現代アートは「美術」にあらず、と改めて考える展覧会でした。

作家たちが取り上げるのは、多くの人が共有する社会問題だったり、個人的なアイデンティティだったり、ほんとうに幅広い。そのうえ、表現手法だって何でもありなのです。

そんなありとあらゆるものを見せられる側としては、ある程度の覚悟と取捨選択が必要です。当然、すべてが共感できるものではありません。何を見せられているんだろう…と置いてけぼりにされることもしょっちゅうだし、時には不快な気分にだってなる。

それを乗り越えてまで、しかもお金を払って、現代アートを見る理由ってなんだろう。

それは思考するってことが面白いから、というのが今のところの結論めいたものです。

例えば印象派の作品などは、眺めていれば感性に伝わるものがあります。しかし、現代アートは感性を壊しにかかってくるので、主体的な思考を求められるのです。

作品を科目ごとのセクションに分けるという構成は、カオスのような作品たちが持つ背景や文脈を考える取っ掛かりを与えてくれるものだと思います。まぁ、ちょっと強引なものもありますが。

最初のセクションは「国語」。コンセプチュアル・アートのパイオニア、ジョセフ・コスース『1つと3つのシャベル』から始まります。大御所から気鋭の作家まで、およそ150点の作品が見られる欲張り展覧会でもあります。

発想が凄い、と思ったのは宮永愛子のナフタリンで作った靴の作品。常温で昇華するため靴の形は時間とともにやがて消えてしまいます。時を視覚化するこの作品が、防虫剤のナフタリンでできているとは。ちなみに「理科」です。

特に異彩を放っていると感じたのは「算数」。このセクションばかりは理解が追い付かず思考停止やむを得ず、です。杉本博司の『数理模型 022 回転楕円面を覆う一般化されたヘリコイド曲面』ってタイトルの意味も全然わかんない。

それでも『数理模型』や『観念の形』シリーズを美しいと感じるのは、理屈を吹き飛ばす普遍性を携えているからでしょうか。

【写真】ヤン・ヘギュ『ソニック・ハイブリッド─移り住む、 オオタケにならって』2023年