B面のつぶやき

美術館、図書館、喫茶店に出没しがちデイズ

杉本博司 本歌取り 東下り|渋谷区立松濤美術館

本歌取り」とは、古(いにしえ)の和歌を素材にして、新しい和歌を作る技法。鎌倉時代初期に編纂された『新古今和歌集』の頃、盛んに用いられたそうです。

新しい武士の時代に古い和歌を引用する技法が流行したというのは興味深く感じています。少なくとも文化面においては、新しいところに新しいものを生み出すというメンタルでは無かったと思えるからです。むしろ、古来からの正当性を宣言しているように思える。

あ、話がそれそうなので戻ります。

本歌取りの細かいルールはさておき、肝心なのは、読者にも本歌取りであることが分かること、新しい和歌は新鮮味を感じさせるものであることです。

もちろん新しい和歌だけを楽しむことも可能ですが、本歌とあわせることで、技巧を駆使する力量や、そこから生まれる趣を感じることができます。なにより、歌人の狙いはこちらです。

和歌に限らず、時代に限らず、古典をモチーフにした絵画や工芸品は数限りなくあります。分かりやすいところでは源氏物語などは繰り返し援用され、あの巻のあのシーンですよ、ということは作った側と見る側との暗黙の了解なのです。

本歌取り」と名付けられた本展覧会は、その概念をもとに集められた作品が展示されています。作者は、本歌取りは「日本文化の本質的営み」と捉えているそうです。

自作はもちろんですが、古くて美しいもの、例えば縄文時代の石器などもな並べられています。その石器には、間違いなく美的感覚が宿っていると感じます。

掛軸に表装された地球を映したデジタル写真と隕石が置かれた床の間のしつらいには、古さと新しさが緊張でもなく融合でもなく、後味の良いバランス感、という言葉しか浮かびません。何と言ったらよいのだろう。

デジタル処理された写真の屏風など、一昔前なら「何を遊んでいるの」と言われそうですが、技術の進歩は目覚ましいものですね。葛飾北斎の赤富士、『凱風快晴』をモチーフにした六曲一双の『富士山図屏風』(写真・一部)は迫力のある作品でした。

写真のほかにも、書や工芸、建築、芸能など、作者の守備範囲の広さと造形の深さに改めて感じ入り…。松濤美術館のクラシックな雰囲気と共に楽しむことができました。