B面のつぶやき

美術館、図書館、喫茶店に出没しがちデイズ

キュビスム展 美の革命|国立西洋美術館

キュビスムについて自分なりに思いを馳せてみました。ひとつ思い浮かんだのは、「アカデミー的なものからの完全な脱却」ってことです。

フランスでは、長らく「王立絵画彫刻アカデミー」が絶大な権力を握っていました。アカデミーのサロンに出品することがすなわち画家と認められること。アカデミーにあらずんば画家にあらず。

そんな権威的なアカデミーに反発した大きなムーブが印象派です。アカデミーにおいては、歴史画の地位が高くて、風景画や静物画の地位が低い。何で?って思うのですが、アカデミーが決めたからみんな従ってた。従わないと画家として食べていけないから。

取るに足らない風景画や静物画を、美しくない筆遣い(アカデミー的には、です)で描いた印象派は、当然、怒りや嘲笑の的になります。「普通の女の裸」を描くなんて不謹慎!と非難されたマネの『草上の朝食』のエピソードは有名です。女神のヌードはオッケーで、人間の女性はダメなんですね。それでも印象派メンバーたちは自分たちの芸術のために描き続けます。アツい。

そして、印象派のなかからセザンヌが登場します。アカデミーから脱落して拗らせていた彼が見つけた居場所ですが、やがて印象派とも距離を置いてしまいます。故郷で長年研究を重た結果、独自の「構築的筆致」を生み出します。忘れられた画家はパリの若い芸術家たちに再発見され、キュビスム誕生に決定的な影響を与えました。これもアツい。

アカデミーと戦った印象派ですが、キュビスムに至っては、アカデミー何するものぞという感じ。個人の力が強くなったことで、反対にアカデミーの権威は弱まっていたという時代背景もあります。ただ、キュビスムはそんなレベルでは無く、ルネサンスからの西洋絵画のありかたをもガラっと変えてしまったのでした。

初めてキュビスム作品を目にした人は「はぁっ???」と思ったんじゃないでしょうか。ふざけてんのかって。キュビスム最初の作品は、ピカソの『アヴィニョンの娘たち』と言われています。変な絵を描いてどうかしちゃったんじゃないかと心配した友人もいたようです。そんななかこの絵の重要さに気づいたジョルジュ・ブラックは偉い。

キュビスムもまた、当初は激しい非難にさらされます(そりゃそうであろう)。変化を生み出す者は批判されるもののようです。でもやっぱり、じわじわと受容されていく。追随者が現れ、建築や写真などの分野にも広がります。ピカソとブラックが生み出したパピエ・コレのような新しい技法は現代芸術に道を開くものでした。

ル・コルビジュエ『静物

ロベール・ドローネーの『パリ市』に代表される同時主義、ロシア周辺で展開された立体未来主義(クボ=フトゥリズム)、キュビスムを批判的に乗り越えたピュリズム。キュビスムからさまざまな「イズム(主義)」が生まれます。

今回のキュビスム展では、パリのポンピドゥーセンターから優品が集まり、その豊かな展開が紹介されています。こんなにお借りできるんですね、と思ったら改装工事で一部休館しているお陰のようです。何にしろ有難い。ポーラ美術館からはセザンヌ作『4人の水浴の女たち』が。かつてピカソが所有していた作品です。これを見てインスピレーションを受けていたんだなぁ。

キュビスム以前と以後では、西洋美術の世界がまったく違って見える。それほど革命的なものでした。美術の歴史には時々天才的な人物が現れますが、「その他大勢」の営みの上に、現れるべくして現れるもの。そんなことを感じました。